5時40分起床。久し振りに宿で朝食をとってから6時30分出発する。
次の第85番八栗寺(ヤクリジ)は、昨年、私が趣味としている詩吟の会の人達と、バスによる親睦旅行でお参りした寺である。1時間程で寺へのケーブル乗車駅に着いた。乗車口でケーブルに乗るため待っている人達と話をかわす。小休止の後、ケーブルの横から急な登山道を登り約20分で寺に着くと先程ケーブル乗車口で言葉を交わした人たちと一緒になり
「えっ、もう登ってきたのですか。凄いとびっくりされた。ケーブルの待ち時間があったためだろう。
この寺は標高200メートルの位置にあり、台地上の屋島とは好対象で険しい峰が連なる五剣山の中腹にある。商売繁盛の神様とかで沢山の参拝客がお参りをしていた。
続いて第86番志度寺(シドジ)に向かう。残りは3ヶ寺と思うと心が弾む。妻は「お父さん、88番でお参りするときは、感極まって号泣するでしょうね」と言う。
志度寺は志度町の中心街にあり、仁王門をくぐると五重塔がそびえたっており、また此処には回遊式の庭園があって遍路の心を癒してくれた。
志度寺を打って第87番長尾寺の車道を南進していると、妻が
「ちょっと、お父さん。向こうからカメラを構えている人がいるよ」
なるほど、前方右側の小高い所からレンズがこちらをむいている。撮り終えると70歳前後の夫婦が近づいてきて
「お遍路さん、失礼かもしれませんが写真を撮らせてもらいました。出来たら送らせていただきますから、住所を教えて下さい」
やがて長尾寺に着いた。この札所は源義経の愛妾であった静御前が得度して尼となった寺とのことだ。打ち終えたのは12時過ぎだった。
きょうの予定はこの寺の前にある「やなぎや旅館」に投宿し、88番は明日打つつもりだったが時間は少し早すぎる。しかし、旅館は昨夜中に予約しておいたので、とりあえず宿を訪れると
「お客さん、時間がもったいないから、これから88番を打ったらどうですか」と云う。
しかし、88番の大窪寺(オオクボジ)までは地図では15.6キロあり、往復31キロは、この時間では無理だ。
歩き遍路であることを伝えると
「それじゃ途中までバスがありますから、それに乗り、帰りを全部歩いたら良いでしょう」なるほどそうすれば歩きの目的を達することになると思い、早速バスの時間を調べた。10キロばかりバスで行き多和学校前で下車し、札所に向かって5キロの坂道を進むうち、うしろの空が曇ってきて雷鳴が聞こえてきた。
「雨が降るかもしれない。急ごう」急ぎ足で進み、やっと大窪寺に着いた。
幸い雨にはあわずに済んだ。「四国霊場結願所」と書かれた石柱が立っている。
ああ、いよいよ結願かと思うと感無量だ。本堂と大師堂に納経し、ふと見ると金剛杖や菅笠が沢山置いてあるのが見えた。結願したお遍路さんは、金剛杖や菅笠を寺に奉納して帰るのだと聞いていた。しかし、私達は結願したあとも、もと来た道を宿まで歩いて引き返すつもりである。遍路用品は家に持って帰るつもりである。宿への帰り道で妻が
「お父さん、大窪寺では号泣しなかったねえ。きっと、この長い帰りを歩かねばと思ったからだわ」
1時間あまりで多和学校前のバス停まで戻ってきた。地図を見ると、此処からまだ11キロ程ある。「急ごう陽が暮れる」
打ち終えた喜びと感激で気分が高調して、快適に足が進む。
6時40分、やっと宿にたどり着いた。あたりはもう殆ど暗くなっていた。
(本日の歩行距離)
おえぎや旅館……5.0キロ……85番・八栗寺……7.6キロ……86番・志度寺……7.0キロ……87番・長尾寺
(バス乗車10.8キロ)多和学校前……4.8キロ……88番・大窪寺……15.5キロ……やなぎや旅館
歩行距離合計39.9キロ
あとがき
40日間、約1300キロの私達夫婦の遍路行は終わった。
1番札所わ出てから途中いろいろな体験をしてきた。12番焼山寺への「へんろみち」では無理がたたり疲労困憊に達し、全く食欲をなくした。8月3日には今治市で暑さによる脱水症状に近い状態になり、病院で点滴を受けた。大事な掛軸を落としたたが幸いにもみつかり冷や汗をかいたこともあった。遍路姿で歩いていると、お年寄りが近づいてきて私達にてを合わせ「南無大師遍照金剛」と拝まれたことが何回かあった。
私は当初、ただあるきたいだけで遍路に出た。信仰心も殆ど無かった。しかし、四国の人々の大師信仰の熱い心に接し考えが変わってきた。大阪へ帰って人に接すると
「辻本さん、遍路に行って人間が円くなった」といわれた。しかし、自分では何ら変わったとは思わない。
1番を出たときに全行程を全部歩き通すつもりで大阪を出た。そして自動車によるお接待の誘いは、初めの頃は謝辞を云って断り歩きにこだわった。しかし善根宿の都築さん宅で
「車のお接待は快く受けてください」と教えられてから、都合5回のお接待を受け、距離にして100キロあまり車に乗った。そのため初めの予定では最低でも45日は要すると思われた道のりを40日で結願することとなった。
結願した翌朝は丁度、徳島の阿波踊りの最終日に当たったので、見物してから大阪へ帰った。
私はこの歩き遍路で四国の人々の暖かい心に接した。受けたお接待を数えると、善根宿が3回、頂いた金銭が12回の7930円、梅干、西瓜、トマト、バナナ、饅頭、コシヒカリ弁当、ジュース、スモモ、びわ、ヨーグルト、アイスクリーム、蜜柑、お茶、・・・・・などの飲食物は数知れず、何れも大師信仰の熱い心に感激し「南無大師遍照金剛」と思わず手を合わさずにはいられなかった。
弘法大師の化身ともいわれる金剛杖は磨り減って十センチ短くなっており、体重は約7キロ減っていた。妻は靴を履き破り、私の靴を新調した。
顔は真っ黒に日焼けし、人相が変わったようである。
妻も遍路中は手甲をして顔はタオルで覆い、目玉だけを「ギョロッ」と出していたが、夏の日光はきつく紫外線がタオルを通していたのか、かなり日焼けしていた。
今でも妻と歩いたあの札所から札所への険しい「へんろみち」や、炎天下の国道がまぶたに映り懐かしい。
しかし、菅笠に書かれている
「迷うが故に三界は城にして、悟るが故に十方空なり、本来東西無く何くんぞ南北あらん」の教えや
「色即是空」の境地にはほど遠い。俗人の域から抜け出すことは、とても出来ないようだ。
私はもう一度あの「へんろみち」を歩いて修行の一端でも経験してみたいと思って、松山市の「へんろみち保存協力会」の代表である宮崎建樹さんが先達になって歩く「へんろ道一緒に歩こう会」に平成9年から10年にかけて参加し、2回目の結願をした。
更には、宮崎先生の引率する「へんろみち」の草刈奉仕団にも9日間参加して、草刈に汗を流した。
夢は77歳の喜寿の年に妻と一緒にもう一度、歩いて通し打ちをしようと思っている。
その時は最少でも50日以上かけてゆっくりと回るつもりだ。その時妻は古稀を向かえている筈である。 合掌
【注】
辻本ご夫妻は平成17年に喜寿と古稀を向かえます。
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